奈良の磐座


春日大社摂社・水谷神社かすがたいしゃせっせっしゃ・みずやじんじゃ
奈良県奈良市春日野町160


■白い漆喰で塗り固められた不思議な磐座

 なんとも不思議な磐座だった。大きさも形も不 揃いながら、水晶の原石を思わせる鋭角な石が寄 り添うように、ほぼ円形にまとまっている。縦約 80センチ、横約100センチ、高さ約50センチの大きさだという。 寄せ集まったように見える が、もともと一つの岩だという。その岩がなんと 白い漆喰で塗り固められているのだ。じっと見て いると、なにか細工物を見ているような錯覚にと らわれる。これは、はたして磐座だろうか。自然 石にこれほど手を加えたものは見たことがない。 まるで、役づくりをした歌舞伎役者を見る想いで しばらく立ちすくんだ。
 春日大社の本殿裏側・ 後殿とよばれる白い砂 が敷かれた斎庭の一画、第一殿と第二殿の間に鎮 座している。「大宮磐座」とよばれるらしい。と いうのも、春日大社のどの記録にも残っていない からだ。しかも、この場所は、明治以降約140 年にわたり、立ち入りが禁じられ、神官以外拝す ることができなかった秘所だという。
(『磐座百選』より一部抜粋)





都祁山口神社つげやまぐちじんじゃ
奈良県奈良市都祁小山戸640


■「まほろば」を彷彿させる地、御社尾の磐座

 訪ねたのは1月9日、境内にはうっすらと雪が 積もっていた。境内各所には元旦祭の飾りが残り、 よく見ると狛犬までしめ縄がかけられている。と くに本殿前にあるふたつの飾りは、数多くの竹や 松に加え、南天や葉牡丹などが組み合わされたも ので、なんとも豪華で見事なものだった。さらに この飾りには、 簾のようなしめ縄が架け渡され、 重厚さとともに、神社が背負ってきた奥深い歴史 を語っているように思えた。かつての式内大社と はいえ、いまもって地域の人たちに篤い崇拝をう けていることが実感として伝わってくる。
 磐座に向かう参道は、樹木の根が地表に張りだ し、鞍馬寺の「木の根道」を思わせる景観が山頂 へと続いている。都祁氏の氏神たる由縁だろうか、 参道の途中に「都祁直霊石」と刻まれた石碑があ り、しめ縄とともにサカキが供えられていた。
(『磐座百選』より一部抜粋)





室生龍穴神社むろおりゅうけつじんじゃ
奈良県宇陀市室生区1297


■室生寺より古いと伝わる龍神が宿る「龍穴」

 室生は、室 (むろ) が生まれると書く。単に「室」と書 く場合もあり、土地の人たちは室生のことをムロ とよんでいる。神奈備山のミムロ、ミモロに通じ る言葉だ。折口信夫は『即位御前記』で、「みも ろ・みむろなどと言われる神山の中にあった神聖 処であり、その多くが巌窟を斎場としている」と 書いているが、「むろう」という美しい響きとと もに、そのもつところの情景が伝わってくる。室 生はかつて火口のあったところであり、周囲につ らなる山々は、外輪山だという。そのため、いた るところに岩窟や浸食をうけた奇峰が多く、変化 に富んだ地形をつくりだしている。「神聖処」で あるムロが生まれる条件がそろったところといえ るだろう。
(『磐座百選』より一部抜粋)





大神神社おおかみじんじゃ
奈良県桜井市三輪1422


■磐座のなかの磐座、三輪の神奈備と磐座群

 大神神社は三輪山そのものが神体であるため、 拝殿のみで本殿はない。その拝殿すら鎌倉期の終 りまでなかった。それまでは、「三ツ鳥居」とよ ばれる三輪独特の鳥居しかなく、古くは鳥居もな く、拝殿のうしろに存在する禁足地で祭祀を行っ ていたという。いわば、三輪山全体が禁足地だっ たのだ。現在は登拝を願う人のみ、摂社・狭井神社 の登拝口から登ることができる。本宮から「山 辺の道」を歩いて五分ほど、山麓の窪地のような ところに鎮座する。本宮がオオモノヌシの和魂を、 狭井が荒魂を祀る。
(『磐座百選』より一部抜粋)





志貴御県坐神社しきのみあがたますじんじゃ
奈良県桜井市三輪字金屋896


■実在した初代天皇の宮跡に鎮座する磐座

 大神神社から、山の辺の道を300メートルほ ど南にくだったところに鎮座する。シキ、古代か らの地名で、志貴、磯城と表記する場合が多い。 『東アジアの古代文化』(13号)で、池田末則氏 は「岩の多い土地」と解釈し、谷川健一は「神聖 な一区画のことで、沖縄のグスクに通じる」と語 っている。
 御県(みあがた)とは、天皇領のことで、天皇の食事に供 える野菜を栽培するために設けられた直轄地をい う。大和国には、志貴・高市・ 葛木・十市 ・ 辺 ・曽布 の六地域があり、「六御県(むつのみあがた)」とよば れた。ヤマト王権発祥の地にあるため、直轄地として重要視され、 それぞれの地に守護神を祀った。 その一つが志貴御県坐神社だった。
(『磐座百選』より一部抜粋)





玉置神社たまおきじんじゃ
奈良県吉野郡十津川村玉置川1番地


■十津川郷の鎮守、玉石社の玉石

 玉置神社は、まさに山の中にあった。こんなと ころに、よくぞこれだけの社殿がつくられたもの だと感じいった。いまでこそ国道168号線の折立から 神社にいたる林道は整備され、駐車場も完 備しているが、古くはどのようにして資材などを 運び上げたのか、というのが第一印象だった。
 広大な境内には、神代杉・磐余杉・夫婦杉など とよばれる樹齢三千年とも伝わる杉の大木が数多 く現存し、無言ながら信仰の古層を語っている。
 由緒に「熊野三山の奥宮」とあるが、これは 「大峯奥駈」の一大拠点だったとともに、熊野 本宮から見て山の奥にある聖地の意と思われる。 奥宮とは、神社のなかでもっとも神聖な区域と され、本殿から離れた後方の山上や岩窟内に設け られるところとされるからだ。三山でもっとも 古いとされる熊野本宮の主神・ケツミコ(家津御 子神)は、「玉置山から示現した」という説があ るというが、こうした伝承も、奥宮とよばれる由 縁かもしれない。
(『磐座百選』より一部抜粋)




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