■白い漆喰で塗り固められた不思議な磐座
なんとも不思議な磐座だった。大きさも形も不
揃いながら、水晶の原石を思わせる鋭角な石が寄
り添うように、ほぼ円形にまとまっている。縦約
80センチ、横約100センチ、高さ約50センチの大きさだという。
寄せ集まったように見える
が、もともと一つの岩だという。その岩がなんと
白い漆喰で塗り固められているのだ。じっと見て
いると、なにか細工物を見ているような錯覚にと
らわれる。これは、はたして磐座だろうか。自然
石にこれほど手を加えたものは見たことがない。
まるで、役づくりをした歌舞伎役者を見る想いで
しばらく立ちすくんだ。
春日大社の本殿裏側・ 後殿とよばれる白い砂
が敷かれた斎庭の一画、第一殿と第二殿の間に鎮
座している。「大宮磐座」とよばれるらしい。と
いうのも、春日大社のどの記録にも残っていない
からだ。しかも、この場所は、明治以降約140
年にわたり、立ち入りが禁じられ、神官以外拝す
ることができなかった秘所だという。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■「まほろば」を彷彿させる地、御社尾の磐座
訪ねたのは1月9日、境内にはうっすらと雪が
積もっていた。境内各所には元旦祭の飾りが残り、
よく見ると狛犬までしめ縄がかけられている。と
くに本殿前にあるふたつの飾りは、数多くの竹や
松に加え、南天や葉牡丹などが組み合わされたも
ので、なんとも豪華で見事なものだった。さらに
この飾りには、 簾のようなしめ縄が架け渡され、
重厚さとともに、神社が背負ってきた奥深い歴史
を語っているように思えた。かつての式内大社と
はいえ、いまもって地域の人たちに篤い崇拝をう
けていることが実感として伝わってくる。
磐座に向かう参道は、樹木の根が地表に張りだ
し、鞍馬寺の「木の根道」を思わせる景観が山頂
へと続いている。都祁氏の氏神たる由縁だろうか、
参道の途中に「都祁直霊石」と刻まれた石碑があ
り、しめ縄とともにサカキが供えられていた。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■室生寺より古いと伝わる龍神が宿る「龍穴」
室生は、室 (むろ) が生まれると書く。単に「室」と書
く場合もあり、土地の人たちは室生のことをムロ
とよんでいる。神奈備山のミムロ、ミモロに通じ
る言葉だ。折口信夫は『即位御前記』で、「みも
ろ・みむろなどと言われる神山の中にあった神聖
処であり、その多くが巌窟を斎場としている」と
書いているが、「むろう」という美しい響きとと
もに、そのもつところの情景が伝わってくる。室
生はかつて火口のあったところであり、周囲につ
らなる山々は、外輪山だという。そのため、いた
るところに岩窟や浸食をうけた奇峰が多く、変化
に富んだ地形をつくりだしている。「神聖処」で
あるムロが生まれる条件がそろったところといえ
るだろう。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■磐座のなかの磐座、三輪の神奈備と磐座群
大神神社は三輪山そのものが神体であるため、
拝殿のみで本殿はない。その拝殿すら鎌倉期の終
りまでなかった。それまでは、「三ツ鳥居」とよ
ばれる三輪独特の鳥居しかなく、古くは鳥居もな
く、拝殿のうしろに存在する禁足地で祭祀を行っ
ていたという。いわば、三輪山全体が禁足地だっ
たのだ。現在は登拝を願う人のみ、摂社・狭井神社
の登拝口から登ることができる。本宮から「山
辺の道」を歩いて五分ほど、山麓の窪地のような
ところに鎮座する。本宮がオオモノヌシの和魂を、
狭井が荒魂を祀る。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■実在した初代天皇の宮跡に鎮座する磐座
大神神社から、山の辺の道を300メートルほ
ど南にくだったところに鎮座する。シキ、古代か
らの地名で、志貴、磯城と表記する場合が多い。
『東アジアの古代文化』(13号)で、池田末則氏
は「岩の多い土地」と解釈し、谷川健一は「神聖
な一区画のことで、沖縄のグスクに通じる」と語
っている。
御県(みあがた)とは、天皇領のことで、天皇の食事に供
える野菜を栽培するために設けられた直轄地をい
う。大和国には、志貴・高市・ 葛木・十市 ・ 辺 ・曽布
の六地域があり、「六御県(むつのみあがた)」とよば
れた。ヤマト王権発祥の地にあるため、直轄地として重要視され、
それぞれの地に守護神を祀った。
その一つが志貴御県坐神社だった。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■十津川郷の鎮守、玉石社の玉石
玉置神社は、まさに山の中にあった。こんなと
ころに、よくぞこれだけの社殿がつくられたもの
だと感じいった。いまでこそ国道168号線の折立から
神社にいたる林道は整備され、駐車場も完
備しているが、古くはどのようにして資材などを
運び上げたのか、というのが第一印象だった。
広大な境内には、神代杉・磐余杉・夫婦杉など
とよばれる樹齢三千年とも伝わる杉の大木が数多
く現存し、無言ながら信仰の古層を語っている。
由緒に「熊野三山の奥宮」とあるが、これは
「大峯奥駈」の一大拠点だったとともに、熊野
本宮から見て山の奥にある聖地の意と思われる。
奥宮とは、神社のなかでもっとも神聖な区域と
され、本殿から離れた後方の山上や岩窟内に設け
られるところとされるからだ。三山でもっとも
古いとされる熊野本宮の主神・ケツミコ(家津御
子神)は、「玉置山から示現した」という説があ
るというが、こうした伝承も、奥宮とよばれる由
縁かもしれない。
(『磐座百選』より一部抜粋)